わたしが吉祥寺の水口病院に掛かりつけになる訳

どちらにしても、わたしがこれから向かう人生において、健康は必要不可欠なものだ。これはどんな人生においても全く同じことが言える。だから、わたしにできるのはできる限りの健康管理だとしか言えない。そこで常にお世話になっているのが、吉祥寺の水口病院だ。わたしの住まいにとても近いので、なにかとお世話になっているんだけども、もっとも助かっているのはなんといってもその【気安さ】だ。昔のわたしはちょっと体調優れないからといって直ぐに病院に、なんていう気の持ちようでは無かった。しかし、今となってはなるべく早く吉祥寺の水口病院に相談するようにしている。それもこれも、吉祥寺という立地の条件もさることながら、病院のもつ雰囲気だ。だれにでも分け隔てなく受け入れてくれるような包容力というのは、どんな企業にしてもなかなか目指しても得られる雰囲気では無い。店舗経営として考えれば、限りなく成功している例として考えられるだろう。だからこそなのだ。

吉祥寺の風景としての水口病院が変化するとき

その先を曲がれば、いつもと変わらない風景が広がっていて、何も考えずにいつもと変わらず道を進んで、繰り返される日常を淡々と繰り返していることが自然と当たり前のことだと、どこかでこの日常が永遠に続いていくかのような錯覚を覚えていたのは間違いない。吉祥寺の街並みは変わらずわたしを包んでいて、何一つ心配することなんて特にない。…そう、思っていた。しかし、水口病院にお世話になる事になったのも、そんな折だった事はなんとも切ない話だ。別に病気をするのはそんなにヘコむような事じゃない。年齢的にも自然な成り行きかな?なんて感想を抱くくらいだ。吉祥寺には水口病院がある。そして、そこで治療に専念するわたし。それだけの年齢をいつの間にか経ていた。そういう、感慨にも似た情感を抱くことが心外だったのだ。繰り返される日常の中では、吉祥寺の水口病院はあくまでも風景でしかなかった。しかし、今では立派に体感をもって施設としてお世話になっている。